ベアルさんの生きるブログ

個性派家族の生きやすさを探す

娘ちゃんのこと①学習障害(ディスレクシア)

発達障害には種類があります

 

・自閉スペクトラム

ADHD(注意欠如/多動性障害)

学習障害

・知的障害

・運動障害

・コミュニケーション障害

などがあります。

これから重なり合って存在する事もあります。

前にも書きましたが

発達障害の人が100人いたら100通りの形があるのでは?

っと勝手に思っています。

人間も同じ人なんていないか。

 

私は何の専門家でもありませんが

子供に発達障害の診断をいただき、

色々な本を読んだりネットの情報を学びました。

そして子供と接する中で学んだことを実感したり。

わからん!っと頭を抱えたりw

 

息子に診断が出たのは4年前

自閉スペクトラム、不安症、感覚過敏でした。

 

そして今年、娘に学習障害という診断が出ました。

今、娘ちゃんは小学1年生ですが

あいうえおの50音の中でも

読めない字があります

続けて文章を読む以前に、単語が読めません。

 

字を書くことは見様見真似でできるんです。

平仮名の宿題も見てやらなくても、勝手にやっていました。

でも読むことができない。

 

学習障害の中のディスレクシア

の中の読めない方

 

区役所の検診でも今まで何も言われてきませんでした。

 

気がついたのは年長の秋頃

そろそろ就学だからと簡単なドリルを買い

やらせてみると、あれ?字が読めてない?

 

比べる対象が息子ちゃんになるのですが

息子ちゃんは年中の時に何冊も自分で絵本を声に出して

読んでいました。

私自身が昔から絵本が大好きだったので

寝る前に子供に絵本を読み聞かせるのが日課でした。

なので、何となく読めるようになるもんだ

と思っていたのです。

 

で、娘ちゃん読めてない。

そもそも人ってどうやって読めるようになるの?って感じでした。

書くことって迷路とか

クネクネした線をなぞるとか

そういうところから学んでいくのかなと何となく

思っていたけど、読む?

分からなすぎる・・・😭

 

でも、一つ言えることは

字が読めない中での学校生活は

どんなに大変なんだろうかという事

想像しただけでも苦しくなります。

担任の先生には字が読めないことを伝えてありましたが

その先生から見ても、

頑張りすぎているくらい頑張っていて

お家で大丈夫ですか?と心配してくれるほど。

入学して夏休みの期間

本当に頑張ったなーと思います

しかし、夏休みちょっと前に家で感情が爆発して

大暴れしました。

ランドセルも教科書も投げつけて

家の中のものを倒して・・・

しかし友達と遊ぶのは楽しいみたい

勉強が嫌だ!と

そりゃそうですよね。

そんな娘ちゃんに出来ること

模索していこうと思います。

息子ちゃんの今まで④入学式から学校生活

入学式に出席できなかった息子

 

その放課後に入学式でもらうはずだった教材を取りに行きました。

出迎えた副校長先生の開口一番

 

「やっぱり通級なんじゃないですかあ〜?」(一般学級は無理でしょ)

 

は?

 

その後、担任と専任の先生に連れら教室まで行き

そこでも二人から今からでも通級に行ったほうがいいから!と言われ

めちゃくちゃ戸惑いました

 

入学式に行けないってそんなにひどい事なの?!

 

当時コロナが流行だし、幼稚園最後の1ヶ月突然の休園がありました。

 

学校の最初も分散登校でした

 

そんな世の中全てが混乱の中にあったからか(知らんけど)

 

幼稚園と小学校との引き継ぎとかも無かったのかな・・・

 

担任の先生は「引きずってでもいいから門まで連れてきてください」

 

これ、前の幼稚園の対応と同じ。

しかし動揺していた私は登校初日、嫌がる息子を引っ張って学校へと

向かいました。すると門で待っていた先生は

力尽くで息子を学校の中に入れました。

 

これじゃ2年前の登園拒否と一緒だ。もうあそこには戻りたくない

息子をもう傷つけたくない

トラウマが蘇ったような感じで、泣き出してしまいそうでした。

その後私も後を追って教室に行きましたが

担任の先生は母のことは終始シカトで・・

小学校自体のことも良くわからないまま、

廊下で娘と授業を見守る数時間

孤独感やばかった〜

 

その後、その先生と1ヶ月ほどやりとりしましたが

先生は何としても通級に通わせたいらしく

楽しかったと帰ってくる息子の姿もあったのに

毎日電話をしてきて、うちの息子のできないところ

ばかりを話してきました。

だんだんいうことがなくなったのか

最後の方は「楽しそうじゃないです」

「顔色が悪いです』とか意味わからん

休み時間はみんなで遊ぶのが当たり前なんだと

無理やり女の子と手を繋がせて

遊ばせてやったみたいな事も言ってました。

 

私は「一人で遊ぶのはダメなんですか?」

「そういう子一人もいないんですか?」

 

と言ったら「まあ、そういう子もいるけどみんなで遊ぶのが普通でしょ」って

もう、発達障害とかそういう以前の問題。

先生の価値観なんかおかしくない?

 

そんな毎日だったのでだんだん息子ちゃんも

学校に行きたくないという日が増えてきました。

付き添い登校や

休んだ日は放課後行ったりしていましたが、

いつまで経っても先生には心を開きませんでした

 

先生の対応、色々おかしすぎた。でも誰にも相談出来なかった。

そのとき友達からスクールカウンセラーさんの存在を教えてもらいました。

とにかく行ってみようと電話で予約を取り

入学からの経緯をお話ししました。

 

そしたらそのスクールカウンセラーさんとてもびっくりされて

「そんなことがあったなんてごめんなさい!!」と

泣いてくださいました。

そこで、やっと「そうだよな〜やっぱおかしいよな〜」と

自分の感じた違和感を肯定することができました。

 

続く

息子ちゃんの今まで③入学したものの

療育センターで診断を受けていた息子

就学を前に一般学級なのか、通級なのか、特別支援級なのか

の判断をしてもらうために特別支援教育総合センター(特総センター)

へ行きました。

特総センターでテストを受けたときは通常学級の判断をしていただいたのですが

その時はまだまだ不安定な息子ちゃんだったため

今までの経緯を話し転園したことも伝えると

通級指導教室がいいだろうという話になりました。

申し込みはしても最終判断は親だし、

ギリギリまで迷ってもいいという話でした。

 

園を卒園する頃にはすっかり元気な姿になった息子

心の不安定さも消えて、何かに挑戦したいという前向きな

気持ちにもなっていました。

そんな彼の姿を見て、もう大丈夫だなと思った私。

 

入学前の2月に通級へのキャンセルを申し込みました。

 

そして入学式当日

 

息子は入学式に行けませんでした

 

あまりにも見通しがつかない行事

今考えれば、そんなこと今までも何度もあった。

事前に練習しておけばよかったんです

でも、あまりにも調子が良く気が緩んでいました

 

しかしながら入学式当日嫌がる息子を連れていくことは

息子にとっても良くない。それこそ泣いて暴れる姿を

入学式でみんなに見られることは息子の傷になってしまうのでは

ないかと思いました。

 

学校に電話して、おやすみを伝えました。

私としては最善の判断だと思っていたのですが

学校側の対応にぶちのめされる事になるとは

このときは思っていませんでした。

 

続く

10日間の隔離生活を終えて

今回、初めて新型コロナに感染しました。

私以外の家族はみんな陰性

なぜか私だけ陽性になり10日間隔離生活

そして今日で隔離期間が終わります

 

この期間に私が感じたことを書いてみます

2022年7月時点

(個人的な感想です。)

 

①発熱外来、電話つながらない診てもらえない

私は最初38.7度まで熱が上がりました。

いつもは発熱しても1日も続かないタイプなのですが

1日経っても熱が下がらない。

体もだるいし、生き苦しい、声出ない

まさかこれは!となってすぐに

隔離してもらいました。

主人の会社も家族に発熱者が出た時点で出勤停止になったので、

子供達、家のことをお願いできたのは本当にありがたかった。

で、pcr検査をして陰性証明が出ないと出勤できないため

かかりつけ医がない私は発熱外来に電話。

主人も片っ端から電話。でもつながらない・・・。

つながってもどこも予約でいっぱいとのこと。

3日目で熱が36.8度まで下がる。

でも息苦しさが前よりも出てきて、喘息持ちの私はとにかく

病院に見てもらいたくて近所の病院を2軒回りましたが、

コロナらしき症状がある方は病院に入らないでくださいの貼り紙

息が苦しいと伝えても「すごく苦しくなったら救急車呼んでください」

そんな答えでした。

こんなに苦しいのに病院で見てもらえない・・

電話もつながらない・・

どうしたら良いのと悲しくなりました。

 

②つながった病院が神に見えた

そしてまた翌日、1日の受付枠がない発熱外来にかけるしかないと

受付開始から夫婦で鬼電w

リダイヤルを100回しても繋がらくて20分経過・・

もう、しんどいよ〜と思っていた時

主人の電話が繋がり、予約が取れた!

車で行って駐車場での検査、電話での問診をしてくれるとのこと。

予約時間に行くとスタンバイしてくれていた病院の方に検査してもらい

先生に問診したいただき、吸入薬を処方していただけました。

看護師さんも会計の方も、もう対応してくれた全ての人が神でした。

ここ何日かの心細さを全て包み込んでもらえたような

感動、安心感。病院って改めてすごい所だ。

なんか涙出た

そこで陽性反応が出て、やっと保健所とも繋がることができました。

 

③ラインで繋がれる安心感

陽性反応が出るとLINEで体調の報告をするように指示がありました。

息苦しく声も出しづらい状況が続いていたので、それを報告できること

そして何かあったらすぐに繋がれるところがあるというのは

とても安心感がありました。

病院からも、保健所からも電話で何かあったらすぐに連絡を入れてくださいと

言っていただけて、安心しました。

新型コロナが始まってもう3年目で、私は初めてかかったけど

ここまでの混乱を乗り越えて色々なシステムが作られて

今に至るんだなと、日本の医療とか保健所の方とか

本当にすごいなと思いました。

 

④夫の才能が全開

発熱翌日から、隔離部屋を作ってくれた夫。

出勤停止になり何やら家のことをやってくれているなと思ったら

我が家の中が見る見るうちに綺麗になっていく。

元々綺麗好きな夫なんですけど、今まで家のことは私に任せてくれていて

そして元々片付けが苦手な私の手によって荒れ狂う我が家。

子供のことで頭がいっぱいな私は家事を

どんどん手抜きして行ってたのね(そうしないと心病む)

そんな家がピカピカになっていくのが、分かる。

(みんなが寝静まったとき部屋から出ると空気が違う)

しかも、私のご飯も3食作ってくれて、盛り付けも綺麗だし

美味しいし。私より料理うまいでしょ!(普段は全く料理しない)

偏食な子供も食べてる!

その上、子供の宿題の面倒も見てくれいる様子。

しかもなんやかんや、子供もやってる。

夫、スーパーマンじゃん。

もう、わたしがいない方がこの家うまく回るんじゃないかって

本気で思いました。てか実際そうなのかも。

 

④家族の心強いサポート

私の実家も姉も比較的近くに住んでいるのですが、私の性格が

人に頼るのが嫌いな人間で。

実家の母にお願いことをした後の罪悪感が半端ないんです。

それは自分の育ってきた環境によるものではあるのですが。

ギリギリまで頼らない精神w

でも今回電話したら母がすぐに食料持ってきてくれたり

姉も色々アドバイスしてくれたり

なんか、私もっと頼っても良いのかもと思いました。

私の家族に関する価値観の見直しの時期に来てるのかも。

 

⑤新型コロナは普通の風邪と違う?

私か今回かかった感じだと、やっぱり普通の風邪とは何かが違う

でした。

私は子供の頃から喘息を持っていて大発作を起こしたこともあります。

息ができない恐怖は身にしみて分かっていました。

しかし下の娘ちゃんを出産して体質が変化したのか

ここ何年も喘息の症状は出ていなかったんです。

今回もゼーゼーヒューヒューの症状は出なかったけど

息が苦しいという恐怖を久しぶりに味わいました。

息が苦しいときの対処法も自然に身についている私は

水分を大量にとりました。

なぜなら、息が苦しいところに痰が詰まったら

死んでしまうのでは!?と思っていたからです。

水分とってできるだけ痰を柔らかく出しやすくしました。

もう一つはパニックにならないです。

そうするとより苦しくなる感じがする。

喘息の発作は精神的なことでも起きます。

どちらも医学的にどうとかじゃなくて

個人的な経験からですが、大事なことのように思います。

息が苦しくなった経験のない人が

急にそんな症状に襲われたらものすごい恐怖でしょう。

もちろんもっと様々な症状に襲われた方もいるだろうし

それで命を落としてしまった人も

たくさんいらっしゃいましたよね。

かかる前は怖いと思いつつどこか他人事だったのかもしれません。

普通の風邪とは違う。

でもそろそろ普通の外来でも受け入れてもらえたらいいのになと

感じました。

 

とまあ、長くなって来たのでひとまずここまでとします。

またこの期間で自分と向き合って感じたこと

また書いていけたらと思います。

長々失礼しました

私の好きな事

ここまで息子ちゃんのことを綴ってきましたが

振り返るのもしんどくなってきたので、

気分転換に自分の好きなことを書いてみます

 

①ドラム

もうかれこれ始めてから30年くらい経ちます。

一向に上達してる気がしませんが大好きな楽器です。

始めたきっかけは当時エックスってバンドが好きで、ドラムやりたいっ

てなりまして、吹奏楽部のパーカッションから始めました。

「バンドやろうぜっ!」という雑誌にメンバー募集を投稿して学校外でも

バンドを組んでいました。今はSNSで繋がれるけど当時は手紙だったんだぜw

しかも連絡は家の電話だからね〜懐かし〜

女でバンドやってるのも当時は貴重でしたね。ドラムで女も珍しかった。

それから転々といろんなバンドに加入して、ライブやるのにバイトして

オーディション受けたり(青春だね✨)

高校で組んだバンドは5年くらい活動して、

その後に組んだバンドは活動停止や脱退加入など色々あったけど

なんともう20年近くの付き合いなのよね。びっくり。

今も月に1回スタジオ入ってます。ジャンルはパンクロック?

 

②ハードコア、ミクスチャー、民族音楽

最初の入りはエックスでしたが、その後マッドカプセルマーケッツが好きになり

ヴォーカルのKYONOさんがしばらく理想の男の人だったw

スーパージャンキーモンキーという女ミクチャーバンドも大好きだった

ドラムのまつだっっになるのが夢でした。

そこから海外のアーティストも好きになりKORNのMVを始めてみた時は

衝撃が走りましたね。まじで大好きなバンド。そこからミクスチャーバンドを

聴きあさりましたねレイジ、インキュバス、リンプ、リンキン、ソウルフライ

システムオブアダウン、ワンミニッツとかズシンと重い音楽ばかりを

探してました。またソウルフラワーユニオンも大好きなバンドで

いつか民族音楽のバンドやってみたいです。夢見たいな感じ。

アフリカの民族音楽なんかも聞いていた時期がありましたが

やはり日本人の血が流れているので、日本民族の音楽をロックにしてやりたい。

死ぬまでの夢。かなうと良いな。

 

ソーイング

基本不器用な私ですが一時期、服作りにハマりまして

何着か作りました。娘の服も自分の服も。

出来上がりはそこそこですが

やはり何かを作るという作業が好きです。

ソーイング一式揃えて、今は一時休止中。一生物の趣味だと

思うので少しづつやって行きたいです。

 

 

<振り返って思うこと>

長いこと生きてきましたが

好きなことはずっと変わらずです。

他に新しいことに挑戦したなと思うことはあるものの

私のこれまでの人生は音楽とバンドだけでした。

しかし特に才能があるわけではなく好きなだけ。

でも、この好きがあったからここまで生きてこれたような気がします

昔から、音楽を通して知り合った人には悪い人はいない!という

根拠が無い自信がありました。

なぜなら、みんな音楽に助けられてここまで生きてこれた仲間みたいに

思ったからです。

夫も音楽を通して近くになれた人です

好きな音楽がぴったり一緒とはいかなくとも、

この曲かっこいいねって話ができたり一緒にライブ行ったりできて

本当に良かったと思います。

 

ここ数年、子育てにまみれ悩み荒れ狂っていて、自分が何が好きかなんて

あまり考えてこなかった。でも改めて考えてみると昔と変わって無かったw

でも環境の変化はありました。そんな気軽にライブも行けないしね。

しかしながら、残りの人生子育てだけじゃ無い自分の生きやすい

楽しい生き方もして行きたいと考えます

それにはやっぱり音楽とバンドは欠かせないかもね

 

自分の好きなこと考えるの楽しかったです。

長々ありがとうございました。

 

 

息子ちゃんの今まで②園生活

年中2月から途中入園した息子ちゃん

そのまま、年長さんになり大好きな先生にも出会いました

家族以外に大好きになった初めての大人だったのではないでしょうか

 

集団生活も自分から進んで輪に入ることはありませんでしたが

誘われれば一緒に遊ぶことも出来たし、手を出されることはあっても

自分から手を出すことはありませんでした。

(人に対しての感情の波はあまりないようでした)

 

しかし、見通しをつける力が弱いからか思っていたのと違う出来事があると

急に黙り込みうーうーと言葉にならない言葉を繰り返すことはありました。

そうなってしまうと、どんな声かけも入らずぐだぐだに・・・

母も何が思っていたのと違うのが分からず、しかもそのスイッチがいつ入るか

分かりませんでした。

運動会や学芸会など練習して本番を迎えることには対応できますが

入学式や町内会の集まりなど、どんなものか経験がない、想像がつかないものに

関しては、苦手がありました。

当時私も本で発達障害のことを学んでいましたが、

自分自身不器用で、学んだことをその子の特性に合わせてアレンジする

なんてことはできず、的外れなことばかりしてたように思います。

なので出先や道の途中でスイッチが入ってしまうと

どうしていいか分からず、一緒に泣くしかなかった時もありました。

一度目的地への電車の中でスイッチが入ってしまい、行くことも帰ることも

出来なくなり、遠くまで両親に迎えに来てもらったこともありました。

 

同時に療育センターで発達検査をしてもらいました。

発達年齢は普通でしたが自閉スペクトラム、不安症、感覚過敏という診断でした

正直、その時の先生の診断はあまりにも曖昧で何を信じていいのか分かりませんでした

でも、そのことで本人が困っているのなら

なんとかしてあげなくちゃと思いました。

 

今、こうして振り返ると本当に当時は不安定だったなと思います

家族で好きな電車で出かけても5分後に来る電車を『後何分?』と30秒おきに

聞いてきたり、思ったより電車が混んでいた時怖がって途中下車したり・・

必死に当時は対応していたけれど上手く対応できたことなんで一度も無かったです。

 

しかし園生活での先生方の関わりののおかげで成長して、自信もついたような息子ちゃん

転園から半年後にはいつもニコニコ大きな声で笑う活発な男の子になっていました。

卒園式も園長先生から呼ばれた時、大きな声で返事をして

胸を張って卒園証書を受け取る姿を見た時は

転園して本当に良かったなーと

心からそう思いました。

 

しかし、そのまま上手くいくと思いきやそんなことは無かった・・・・

 

次回へ続く

息子ちゃんの今まで①不登園、そして転園

息子ちゃんについて簡単に今までの経緯を書いてみようと思います

 

現在小学3年生の息子ちゃん

 

息子は私の妊娠高血圧症により予定日より1ヶ月も早く緊急帝王切開で生まれました。

2033g低体重。1ヶ月間NICUに入院しました。

息子が生まれてからの生活は不安でいっぱいだったのを覚えています

今思うと、最初からお母さんできる人なんていないのに

生んだ瞬間から、ちゃんとお母さんをしなくてはいけないモードに入り

でも分からない事ばかりだしずっとパニックだったかもしれないです

 

そんな息子ちゃん幼稚園に入るまでは偏食があったものの

すくすく育ちました

区役所での定期検診でも何も言われませんでした

 

4歳で近所の大きめの幼稚園に入園すると、先生から少しずつアドバイス

でも、今思えば最初から合ってなかったんだろうなと思うのですが

友達のお茶をこぼして謝らないとか、嫌いな給食を食べないとか

そんなことを先生から怒られることがあり、だんだん幼稚園に行きたくないとなりました

(当時、息子ちゃんの味方になってあげれたら良かったのに世間体に怯えていた私は

直すようなことばかりに目がいっていたように思い反省です)

 

登園しぶりが続いていましたが、連れてきて貰えばなんとかなると言う先生の言葉を

信じてしまい、無理やり車に載せて登園させていました。(本当にごめん)

年中の3学期の朝、ふとんに潜り幼稚園に行きたくないと泣く姿を見て

もう、自分で行けるまで幼稚園は休もう

そう決断しました。私自身疲れてしまっていたのもあったけど

幼稚園に行きたくないと暴れる姿は、これはただ事でないと感じていたからです

 

そして何かが違う、どうしてこんなに子育てしんどいんだろう?と感じていた時に

発達障害の本に出会いました。

あーだからか〜と言う納得感。

今まで子育ての本をたくさん読んでみてやってみても一つもうまくいかなくて

子育て本なんて嘘ばっかり!実の親から言われるアドバイスも全部ダメ。

だからやっとこの子にとっての正解の本に出会えた気がしました。

 

しかしそうは言っても上手くいかない、それが人間です。

普通の子育て本もそうですが、発達障害に関するものだってそれが

その子に会うとは限らないのです。

それは後から分かることですが、当時はがむしゃらにそこにしがみ付くしか

ありませんでした。

 

自分から幼稚園に行けるように遠くから幼稚園を見に行ったり、近くをお散歩したり

しましたが、幼稚園の建物自体を怖がるようになっており、いつまで続くのだろうと言う

絶望感の中にいました。きっと息子ちゃんも同じ気持ちだったと思います。

当時3歳の娘ちゃんを連れて、しんどかった。孤独でした。

 

前が見えないトンネルの中に居た時、転園のアドバイスを姉にもらいました。

それだ!!

それから、手当たり次第幼稚園に電話して転園を申し込みましたが中途半端な時期というのも

あって、片っ端から断られました。

でも、一つだけ受け入れてくださった園がありました。

自然がいっぱいの幼稚園。園長先生もそこで働く先生も、そしてそこで過ごす子供たちが

キラキラ輝いて見えました。

なんて素敵な園なんだろう、ここに通わせば大丈夫だと。

 

最初、環境の変化に怯えていた息子も寄り添ってくれる先生やお友達との関わりの中で

どんどん元気になっていきました。

親から見てもその変化はすごくて感動ものでした。安心できる居場所を見つけることが

出来たとほっとしました。

 

長々と読んでいただきありがとうございます

 

続きは次回